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東京高等裁判所 昭和47年(ネ)624号 判決 1977年3月30日

控訴人 正孝製版有限会社

右代表者代表取締役 本多二郎

<ほか五名>

右六名訴訟代理人弁護士 井上恵文

同 植西剛史

同 大嶋芳樹

被控訴人 東京都

右代表者知事 美濃部亮吉

右指定代理人 池田良賢

<ほか三名>

主文

本件各控訴を棄却する。

控訴人らの当審で拡張した請求を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

控訴人ら代理人は、当審において請求を拡張し、「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人正孝製版有限会社に対し金三、九七八、六六八円、控訴人保戸塚なみに対し金五七、二六六円、控訴人保戸塚正男に対し金三八、一七六円、控訴人保戸塚孝之助に対し金五六、六七六円、控訴人沢田登美枝に対し金三八、一七六円、控訴人堀内たかに対し金五、〇〇〇円および右各金員(ただし控訴人正孝製版有限会社についてはその内金三、五七八、六六八円)に対する昭和四五年七月一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

(控訴人らの請求原因にならびに主張)

一、訴外慎鏞善(通称真山健次・以下単に慎という。)は、昭和四五年四月四日午後四時ころ、東京都練馬区中村北三丁目二番地所在の控訴会社の工場に赴き控訴会社の従業員である控訴人亡保戸塚由七訴訟承継人保戸塚正男(以下単に控訴人正男という。)に対し、自己が控訴人正男に貸付けた金七〇〇、〇〇〇円の担保として同工場内に設置してある製版機械類を譲受けたからこれを受取っていく旨申し向け、同行してきた約九名の人夫風の男を指揮して右機械類を待たせてあったトラックに積込もうとしたので、控訴人正男はこれを拒否したが、右慎らはこれを無視してなおも実力で搬出しようとするため、一一〇番に電話通報して警察官の派遣を要請した。

二、控訴人正男の右派遣要請に応じて、被控訴人の職員である警視庁練馬警察署警察官鈴木利男、同鵜飼甚作、同川端実の三名が右工場に来たので、控訴人正男は右警察官らに対し、慎らの搬出行為を制止してくれるように求めたが、右三名の警察官は何ら制止措置を講じないで慎らの行為を容認し、そのままその場を引き揚げたため、慎らは結局控訴会社等の所有にかかる別紙物件目録(一)ないし(四)記載の物件(以下単に本件(一)ないし(四)の物件という。)の搬出を継続するに至った。そこで控訴人正男および控訴人保戸塚孝之助らは、更に練馬警察署に赴き、同署防犯係巡査部長鈴木松雄に対し右慎らの搬出行為の制止方を要請したが、同巡査部長は「民事に関しては立ち入ることはできない。」などと答えるのみで、現に右慎らによって行われている搬出行為を制止する何らの措置をも講じなかったため、慎らは遂に右各物件を搬出して持ち去ってしまい、その返還を不能ならしめて控訴会社らの右物件に対する所有権を侵害するに至った。

三、ところで、慎らのした右物件搬出行為は、強盗ないし窃盗の罪に該るものというべきであるから、現場に赴いた前記鈴木利男ら三警察官および練馬警察署で控訴人正男らの要請を受けた鈴木松雄巡査部長は、それぞれ警察官として右犯罪行為を制止するため、適切な措置をとるべき職務上の義務を負っていたものであるのに、いずれも次に述べるような故意又は過失によって右職務上の義務を怠ったものであるから、被控訴人は国家賠償法第一条第一項、第三条第一項に基づき、前記慎らの行為によって蒙った控訴会社等の損害を賠償する責任がある。

(一)  鈴木利男ら三警察官の故意又は過失

慎らの犯罪行為が行われているのを現認しているのであるから、これを防止して控訴会社らの財産を保護するため、次のような措置をとらなければならなかったのに、何ら適切な手段もとらずに現場を退去した過失により慎らの犯罪の遂行を容易にした。

1 刑事訴訟法第二一三条の規定に基づき、慎らを窃盗罪の現行犯人として逮捕する。

2 警察官職務執行法第五条の規定に基づき、慎らに本件物件の搬出が窃盗罪に該ることを警告してその搬出を制止し、かつ既に搬出した物件を原状に復させたうえ現場から退去させる。

3 慎および控訴人正男との話し合いで解決させることが適当と考えられるときは、搬出物件を原状に復させたうえ双方を警察署に同行し防犯係員を立会わせて話し合いをさせる。

(二)  鈴木利男巡査部長の過失

現場に赴いた鈴木巡査部長は、慎から控訴人正男作成名義の売渡書を示され、本件物件を控訴人正男に対する貸金の担保として売渡しを受けた旨主張されるや、右売渡書作成の経緯等を控訴人正男に詳細にたしかめることもせず、慎が本件物件の売渡しを受けた権利者であると軽信し、物件の引渡しについて話し合いがつかなくとも慎らがこれを実力で搬出することもやむを得ないものと判断し、前記のような措置をとることを怠ったものであるが、右慎が同警察官に示した売渡書は、同人が偶々入手した売渡書を利用し、その物件欄には本件(一)の物件しか記載されていなかったものに「他一式」と、名宛人欄に「真山健次」と、日付欄に「 年3月3日」とそれぞれ無断で記入して偽造したものであり、真実は慎が本件物件の所有権を取得したものではなかったばかりでなく、たとえ慎が真実本件物件の引渡しを受け得る権利を有していたとしても、物件占有者の意思に反して実力でその占有を奪取すれば窃盗罪が成立することはいうまでもないところであるから、同巡査部長に過失のあったことは明らかである。

また鈴木利男巡査部長には本件物件の搬出について控訴人正男と慎との間の話し合いで解決できるものと誤信した過失がある。すなわち慎らが控訴人正男の拒絶にも拘らず実力で本件物件の搬出を強行しようとしているため、控訴人正男はやむなく一一〇番して警察官の派遣を求めたのであり、前記三警察官が臨場した際には慎らは既に物件の一部を搬出しており、容易に搬出を思いとどまるような気配は示さなかったものであるのに、同巡査部長は安易に当事者間の話し合いで解決し得るものと軽信し、犯罪防止に必要とされる措置を講じないまま現場を引き揚げた結果、慎らの搬出行為を完遂させるに至ったものである。

(三)  鈴木松雄巡査部長の過失

鈴木松雄巡査部長は、控訴人保戸塚孝之助らから慎らの搬出行為の制止方を求められた際、既に前記三警察官が一一〇番通報により現場に赴いたことを知っていたのであるから、同警察官らから現場の模様や同警察官らのとった処置等を問い合わせるなどして事件の真相を把握し、もって慎らの犯罪行為の制止抑圧に必要な措置を講ずる職務上の義務があったにも拘らず、これら所要の処置をとることをせず、単に右孝之助らに対し警察署に出頭してきた訴外横川和男との間で話し合いをするように勧告し、同訴外人が慎に連絡して本件物件を返還させるものと軽信し、当事者間で解決し得るものと誤信して慎らの搬出行為を容易ならしめたものである。

四、控訴会社らは、慎に本件物件の所有権を侵害された結果、次のような損害を蒙った。

(一)  控訴会社

1 所有権侵害による損害、金二、四五九、六五〇円、控訴会社は、本件(一)の物件を所有していたものであり、同物件の所有権を侵害されてその取得額相当の金二、四五九、六五〇円の損害を蒙った。

2 逸失利益等、金六一九、〇一八円

控訴会社は、訴外株式会社雄幸の倒産後、同訴外会社の業務を引き継ぎ昭和四五年三月二四日に設立されたものであるが、本件(一)の物件を搬出されたため、同年四月および五月の二か月間にわたって操業が不能となり、一月平均一二一、五〇三円、合計金二四三、〇〇六円の得べかりし利益を失ったほか、従業員に対する給与の支払、その他の経費として合計金三七六、〇一二円を支出し、その総計金六一九、〇一八円の損害を蒙った。

3 営業上の信用失墜による損害、金五〇〇、〇〇〇円

右操業不能期間中外注によってかろうじて得意先の仕事を行ったものの、控訴会社の前身である株式会社雄幸の時代から長年にわたって築きあげた信用を失い、旧に復するのは容易でなく、この失われた営業上の信用を金銭に見積もれば数百万円を下らないので、その内金五〇〇、〇〇〇円を損害として請求する。

4 弁護士費用金四〇〇、〇〇〇円

控訴会社らは、本訴の提起を弁護士井上恵文らに委任し、その費用金四〇〇、〇〇〇円を全額控訴会社において、支払うことを約したが、右費用は本件不法行為と相当因果関係にたつ損害である。

5 以上合計金三、九七八、六六八円

(二)  控訴人亡保戸塚由七承継人保戸塚なみ、同保戸塚正男、同保戸塚孝之助、同沢田登美枝

1 訴外亡保戸塚由七は本件(二)の物件を、控訴人保戸塚孝之助は本件(三)の物件をそれぞれ所有していたものであり、右各物件の所有権を侵害されてその取得額相当の損害を蒙った。

本件(二)の物件の価額 金一七一、八〇〇円

本件(三)の物件の価額 金一八、五〇〇円

2 亡保戸塚由七は、昭和四七年八月二一日死亡し、控訴人保戸塚なみは妻として、控訴人保戸塚正男、同孝之助、同沢田登美枝は子として、それぞれ右由七の権利義務を承継し、各法定相続分に応じて、同訴外人の右損害賠償請求権を取得した。

控訴人保戸塚なみ 金五七、二六六円

控訴人保戸塚正男、同孝之助、同沢田登美枝各金三八、一七六円

3 したがって、控訴人保戸塚孝之助を除く右各控訴人らは、それぞれ右各金員を、控訴人保戸塚孝之助は右相続分および自己の損害の合計金五六、六七六円を、それぞれ被控訴人に請求し得るものである。

(三)  控訴人堀内たか

控訴人堀内たかは、本件(四)の物件を所有していたものであり、その所有権を侵害されてその取得価額相当である金五、〇〇〇円の損害を蒙った。

五、そこで控訴人らは被控訴人に対し、前記金員およびこれに対する(ただし控訴会社についてはその内金四〇〇、〇〇〇円の弁護士費用を差引いた金三、五七八、六六八円)不法行為後の昭和四五年七月一日以降完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

(被控訴人の答弁ならびに主張)

一、請求原因事実の認否

一の事実中控訴人正男が搬出を拒否したことは知らないが、その余の事実はすべて認める。

二の事実中控訴人ら主張の三警察官が現場に赴き、控訴人正男から慎らの搬出行為を制止するよう求められたこと、練馬警察署防犯係の鈴木松雄巡査部長が控訴人正男らから右機械類の搬出に関して申し出を受けたことはいずれも認める。慎らが本件物件を搬出して持ち去ったことは知らない。その余の事実はすべて否認する。

三の主張はすべて争う。

四の事実はすべて知らない。

二、現場に赴いた三警察官には過失がない。

控訴人正男の一一〇番通報により警察官が現場に赴いた当時、本件現場においては控訴人ら主張のような犯罪行為の外形的事実は認められず、通報者である控訴人正男からも何ら犯罪事実の指摘ないし申告もなかったため、臨場した警察官は慎らの搬出行為を窃盗等の犯罪に該るものとは認定しなかったのである。すなわち、川端実が現場に到着した際には、現場は平穏であって何らの争いも見られず単に普通に機械を運んでいる状態であったため、控訴人正男から事情を聞いたところ何か複雑な民事紛争が介在しているものと判断されたが、その際控訴人正男から機械の搬出をとめて欲しい旨の申出を受けたので、直ちに搬出作業の中止を勧告し、慎らも搬出を中止した。そして鈴木利男は、右川端から情況の報告を聞いた後、控訴人正男に事情を尋ねたところ、「関係者と連絡し債権者と話し合いたいから債権者にこの旨勧奨して欲しい。」との申出を受けたので、その旨を慎らに告げて話し合いの機会をつくったもので、控訴人正男から機械類が窃取されようとしているとの申告や、機械類の搬出を明確に拒絶する旨の意思表示もまたそのような行動もなかったので、現に犯罪が行われているものとは認めなかったものである。

一般に警察官が立会いのうえ当事者に話し合いによる解決方を勧告していれば、これに従うのが通常であり、本件にあっては警察官は、機械類の搬出を継続すれば逮捕する旨の強い警告を発したうえで、当事者に話し合いを勧告し、双方ともこれを了承して話し合いに入ったので、たとえ話し合いが決裂したとしても直ちに慎らが搬出を再開するものとは考えられない状況にあったから、原状回復等の措置や、警察署において話し合いをさせなかったからといって、警察官に過失があったものということはできない。

三、鈴木利男巡査部長の措置に過失はない。

鈴木利男巡査部長は、現場において控訴人正男および慎らに事情を聴取した際、慎は控訴人正男外二名が真山健次(慎の通称)に対し製版機械類一式を売渡し、売渡物件一切の引渡しを拒否しない旨を記載した売渡書、誓約書等を提示して自己が本件物件の所有者である旨を主張したので、右売渡書等について控訴人正男に尋ねたところ同人は右書類が自己の作成にかかるものであることを認めていたので、いずれにしても債権債務にからむ紛争であるものと判断し、かつ控訴人正男からは慎との話し合いを求めている旨の申出もあったため話し合いを勧告したものであり、現場においては右売渡書が慎の偽造にかかるものであること等の申出もなくまたその詳細な説明もなされていなかったのであって、一見偽造であることが明白であるならば格別それ以上現場における警察官としてとるべき措置はなかったのであるから、同巡査部長が慎を権利者と信じたことに過失はないし話し合いによる解決ができるものと信じたことについても過失はない。

四、鈴木松雄巡査部長のとった措置に誤りはない。

控訴人正男らが、当日練馬警察署防犯係にきて鈴木松雄巡査部長に申し出た内容は、金銭貸借のもつれから債権者に機械類を持ち去られたがこれを取り戻す方法はないだろうか、という相談であって、現に機械類の搬出が行われているとの訴えは全くなく、また同巡査部長が「民事に関しては立入ることはできない。」といって申出を放置した事実もない。むしろ同巡査部長は、控訴人正男らの申出を受けるや、直ちに本件の関係者である慎、横川和男らを警察署に呼び出す手配をし、慎との連絡はとれなかったが当夜警察署に出頭した横川に対しては慎と交渉のうえ搬出機械類を直ちに返還するように指示し、右横川もこれを了解して慎と交渉のうえ機械類を取り戻すこと確約し、控訴人正男らもこれを了承して同巡査部長に謝意を表して帰ったものであって、同巡査部長はとるべき措置を十分とり、職務上為すべき義務をつくしているものであり、何らの過失もない。

(証拠関係)≪省略≫

理由

一、控訴人ら主張の請求原因一の事実中、控訴人正男が機械類の搬出を拒否した事実を除くその余の事実、ならびに同二の事実中、控訴人ら主張の三警察官が現場に赴き、控訴人正男から慎らの搬出行為を制止するように求められたこと、練馬警察署防犯係鈴木巡査部長が控訴人正男らから右機械類の搬出に関して申し出をうけたことはいずれも当事者間に争いがない。

二、≪証拠省略≫に、前記当事者間に争いない事実を総合すると、次の各事実を認めることができる。すなわち

(一)  控訴人正男は訴外株式会社雄幸(以下雄幸という。)を設立し、その代表取締役となって、控訴人ら主張の控訴会社の工場(以下単に本件現場という。)において製版業を営んでいたが、雄幸は昭和四五年三月中旬ころ不渡り事故を起こして事実上倒産し、雄幸の所有であった本件(一)の物件を訴外プロセス写真薬品株式会社に売渡したが、同年三月二四日ころに控訴会社の代表者である本多二郎が控訴会社を設立して雄幸の事業を引継ぐこととし、控訴会社において右訴外プロセス写真薬品株式会社から本件(一)の物件を買戻し、本件現場で製版業を再開することとなり、控訴人正男は控訴会社の従業員として働らくことになったこと、

(二)  控訴人正男は、これよりさきの昭和四五年二月ころ、訴外塚原力が訴外川和商事から金五〇万円を借り受けた際、雄幸と共に右塚原の三和商事に対する債務につき連帯債務を負担し、その担保として雄幸の所有であった本件(一)の物件の一部である中山鉄工製版カメラ一台ほか六点を売渡す旨の売渡証および売渡物件の引渡請求があったときは異議なくこれを引渡す旨の誓約書、雄幸代表取締役の印鑑証明書を作成し、売渡証、誓約書の宛名および日付欄空白のまま、これを三和商事に交付したところ、塚原が右債務の弁済をしないまゝ逮捕勾留されるに至ったため、雄幸に対してつよくその返済を迫られる仕儀となり、やむなく同年三月三日ころ、訴外横川和男を介してマヤマ商事なる商号で金融業を営んでいた慎から、雄幸振出の約束手形二通(額面各金三五万円、満期同年四月二日および四月五日)の割引名下に金五〇万円を借り受けて三和商事に対する前記債務の弁済に充てたこと、

(三)  慎は、右貸付に際し、横川が三和商事から返還を受けた前記売渡証、誓約書等の交付を受け、これを所持していたが、前記約束手形のうち一通が満期に不渡りとなったため、売渡証記載の物件の引渡しを得て貸金の回収を図ろうと考え、売渡証の売渡物件欄に記載されていた物件名の末尾に勝手に「外一式」と、日付欄に「45、3、3」と、名宛欄に「真山健次」と、また誓約書の日付欄および名宛欄にも右同様に記入したうえ(この偽造の事実は後日慎に対する刑事手続きの中で鑑定により明らかにされた。)、同年四月四日午後本件現場にトラック二台位と人夫数名を同行し、控訴人正男に右物件の引渡しを求め、同人が拒むや実力で製版機械類の搬出作業をはじめるに至ったこと、

(四)  このため、控訴人正男は、慎らの搬出を制止して貰う目的で一一〇番通報したこと

(五)  警視庁練馬警察署所属巡査川端実、同鵜飼甚作の両名はパトカー乗務中に一一〇番からの指令を受けて現場に急行し、まず川端巡査が本件現場に臨んだところ、慎が数名の人夫風の男を指揮して機械類の搬出作業をつゞけ、既に二、三台の機械はトラックに積込まれていたので、直ちに通報者である控訴人正男を探し出し、工場建物に隣接する家屋の二階事務所にいた同人に事情を聴取したところ、同人は「金を借りている人が自分所有の機械を持っていこうとしているが、どうして持っていかれるか判らない。機械を持っていくのをとめて欲しい。」と申出たので、事情は判然としないものの一応搬出を制止しようと考え、再び本件現場に戻って慎らに対して搬出を中止するように指示したがこれに従う気配が見えなかったので再度つよく中止方を命ずるとともに、無理に持ち出そうとするならば犯罪にふれることもあり逮捕されることもある旨警告したところ、慎らもこれに従って作業を中止したこと

(六)  その後間もなく、交番勤務中に前記一一〇番指令を聞いた練馬警察署警ら課所属巡査部長鈴木利男が現場にかけつけてきて、右川端巡査から情況の報告を受け、搬出を一応中止させてあるものの事情が判然としないため、右鈴木巡査部長が更に詳細に事情を聴取することとし、慎に対して機械類を搬出する理由を尋ねたところ、慎は前記売渡証、誓約書等を示し、自分が買受けたものであるから持っていく旨を主張し、右売渡証等の日付、名宛人等も一見して慎が偽造したものとも見られず、同人の申立ても理由があるものと考えられたので、右売渡証等を預かって前記二階事務所にいた控訴人正男の許に持参し同人から事情を聞いたところ、控訴人正男は、「売渡証は自分が書いたものであり、慎から五〇万円を借りたことも間違いないが、外の人が費消したものであるからその人と話し合いたい。機械類は自分の物であるから搬出は制止して欲しい。」と答えた。そこで鈴木巡査部長は、相談する人がいるならすぐ連絡するように指示し、控訴人正男はその場で電話をかけたが通じないというので、慎にもそのことを話して待って貰うようにさせるべく、控訴人正男を階下工場に同行し、慎に対して、「保戸塚が話し合いたいといっているし、また相談したい人もあるというから、その人と連絡してこの場にきて貰い、話し合いで解決するようにしてはどうか、」と勧めたところ、慎も特に異存のある態度を示さなかったので、両者において円満に話し合いで解決できるものと判断し、理性をもって話し合い暴行、脅迫等の刑事々件にわたることのないようにと注意し、また練馬署の防犯係で相談に応じているからそこで相談する方法もある旨を指示し、控訴人正男に対し、これで帰るからと申出たところ同人も殊更他の措置を求めることもなくこれを承諾したので現場を立ち去ったものであること、また川端巡査はそれより前鈴木巡査部長が控訴人正男を伴って階下に降りてきた頃、事件処理を同巡査部長に引継いで鵜飼巡査と共に現場を立ち去っていたこと、

(七)  しかるに慎らは、右鈴木巡査部長が立ち去った後間もなく搬出作業を再開し、結局、控訴会社所有の本件(一)の物件、訴外亡保戸塚由七所有の本件(二)の物件、控訴人保戸塚孝之助所有の本件(三)の物件、同堀内たか所有の本件(四)の物件を搬出持ち去って他に処分し、このため窃盗罪として有罪判決を受けるに至ったこと

(八)  一方、控訴人保戸塚孝之助、同正男らは同日午後五時ころ練馬警察署に赴き同署防犯係巡査部長鈴木松雄に対し、慎らに債権のかたとして品物を持ち去られたが、品物は自分のものでないから取り戻して貰い度い旨を申出たので、同巡査部長はその相談に応じ、関係者間での話し合いによる解決を図ることが最善であると考え、慎らに連絡をとったが同人は出頭せず、午後六時ころに前記横川和男が防犯係を訪れてきたので、同人をも交えて控訴人正男らに話し合わせた結果、右横川が慎に話して物件を返還させると申出、控訴人らもこれを了承して同夜八時ころ話し合いを打切ったが、同巡査部長は、控訴人らの申出が、物件は既に持ち去られたとのことであったため、殊更現場を調査したりなどの措置をとらなかったものであること

以上の各事実を認めることができる。≪証拠判断省略≫

三、そこで、右認定事実に基づき、各警察官に控訴人ら主張のような過失があったものというべきかどうかについて判断する。

ところで、警察が、個人の生命、身体および財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧等公共の安全と秩序の保持に当ることを責務とするものであることはいうまでもないところであって、警察官は、犯罪がまさに行われようとするのを認めたときは、その予防のために必要な警告を発し、または急を要するときはその行為を制止することができるものと定められている(警察法第二条第一項、警察官職務執行法第五条。)。

しかしながら、本件のように、現場における当事者からの事情聴取により、紛争の目的物に関し、その根底に売買その他目的物の所有、占有等の権原についての民事上の紛争が存在し、目的物に対する私権の帰属が判然としないような場合にあっては、警察官職務執行法に基づく警察官の介入も謙抑でなければならないものと解すべきである。けだし、私権の帰属に関する最終的判断は、法律の定める手続により裁判所の行うところであり、行政機関における判断はその行政目的の範囲内における一応の判断に過ぎないものであるから、軽々に一方当事者の行為を犯罪視して警告または制止を行うことは、かえって個人に対する不当な干渉となり、ひいては財産権の保護を奪い、警察の中立性を損うことともなりかねないからである。

そこで、このような民事紛争に対する警察官の権限行使の限界を前提として、前記各警察官の行動を検討することとする。

(一)  本件現場に赴いた三警察官について

川端実巡査は、控訴人正男の一一〇番通報後いち早く本件現場に到着し、通報者たる控訴人正男から慎らの搬出作業の制止方を要請され、直ちに作業中止を命じ、これに従う気配が認められないと判断するや逮捕することもある旨の警告を発してまで作業を中止させたうえ、事件処理を上級者である鈴木利男巡査部長に引継ぎ、同巡査部長も搬出行為が中止されている情況を現認した後、両当事者から事情を詳細に聴取し、殊に慎から提示された売渡証等の関係書類には一応売渡物件等の一式が控訴人正男又は雄幸から慎に売渡された旨記載されており、控訴人正男も右売渡証等を作成したことを認めていたことから、物件所有権の帰属に争いのある民事紛争と判断し、同人の希望するままに、当事者間における話し合いによる円満解決を期し得るものと考えて慎との話し合いを指示したものであって、右川端巡査および鈴木巡査部長の措置に過誤はなかったものというべきである。

控訴人らは、現場において警察官は慎を現行犯人として逮捕すべきであった旨主張するが、白昼一見静穏のうちに、しかも所有者と主張していた控訴人正男作成の売渡証および請求を受けたときは引渡しを拒まない旨の誓約書を示して搬出作業を行っていた慎を逮捕することを現場警察官に期待することは、むしろ不当逮捕のそしりを招きこそすれ、適法な職務の遂行とは評価し得ない結果となるおそれがあったものというべきである。

もっとも、その後刑事手続の中で、右売渡証等の一部は慎の偽造にかかるものであることが明らかにされ、慎が窃盗罪で有罪判決を受けたことは、前記のとおりであるけれども、本件現場においては、控訴人正男から右売渡証等の真否につき疑問を提出することもなく、また一見して右偽造部分を発見し得るものではなかったのであるから、右のような事実も、上記の判断を左右するものではない。

控訴人らはまた、警察官が、搬出した物件を原状に復させなかったことをも過失に該る旨主張するが、前示のような経過の下において、警察官らが、慎らの行為を民事紛争に基因するものと判断し、当事者間における話し合いでの解決を指示し、これによる解決が期待し得るものと考えたことは無理からぬところであるというべく、慎らが話し合いもしないで直ちに搬出作業を再開するものとまで予想せず、かつ搬出物件の原状回復を命じなかったからといって、これを過誤ありということはできないものと解するのが相当である。

したがって、現場に臨んだ警察官らは、一応警察官職務執行法第五条が警察官に課している職責を果したものと認めるべきであり、同人らに過失はなかったものということができる。

(二)  鈴木利男巡査部長について、

控訴人らは、同巡査部長には、本件物件の権利者が慎であると誤認し、また本件を当事者の話し合いで解決できるものと信じたことに過失がある旨主張するが、同巡査部長にはかような過失のなかったことは前示のところから明らかであり、控訴人らの主張は採用し得ない。

(三)  鈴木松雄巡査部長について、

控訴人正男、同孝之助らが練馬警察署防犯係に出頭し鈴木松雄巡査部長に申告したのは、すでに本件物件が搬出されたことを前提として、その取戻しに助力し返還を指示して欲しいというものであったのであり、同巡査部長は直ちに慎ら関係者に連絡し、出頭してきた横川和男に対し慎への返還説得方を指示したものであり、控訴人ら主張のような犯罪行為の制止、抑圧に必要な措置を講ずる余地は既になかったものであって、民事紛争に関する防犯係としての職責をつくしたものというべきであるから、同巡査部長に職務上の過失があったものとすることはできない。

四、してみると、各警察官にはいずれも控訴人ら主張のような職務遂行上の過失があったものということはできないから、このことを原因とした控訴人らの本訴請求は、爾余の点について判断するまでもなく理由がないからこれを棄却すべく、これと同旨の原判決は相当であって、本件各控訴はいずれも理由がないから、当審における請求拡張部分とともにこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第八九条、第九三条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 江尻美雄一 裁判官 滝田薫 桜井敏雄)

<以下省略>

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